リーマンパッカーが50歳でセミリタイアを目指す

妻子ありでセミリタイア。高配当株、ETF、米国株、FXなどに投資しつつ、ネット副業で暮らすことを目標とするブログ。

バブル期に銀行に入った人の末路

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銀行

私が大学を卒業し、社会人になったのは1992年。

バブルのピークが、1991年卒なので、私はバブルピークの1年後に社会人になりました。立派なバブル組です。

当時は、銀行に就職する人が多くいました。

 

銀行の給料が良かったということもありますが、銀行が大量採用で、とにかく人をかき集めていた、という事情もあります。

青田買いもひどく、私も大学3年生になった頃に、地元の地方銀行の人が高校の卒業名簿を見てやってきて、「うちの銀行に入りませんか」と誘われたりしました。

当時は個人情報保護法とかありませんでしたし、今から考えればあり得ない話ですが、そういう時代でした。

 

ということで、ふと思いつき、自分の知っている限り、銀行に入った人の末路を辿ってみます。

 

まず、印象に残るのが、私の一つ上の先輩で、日本長期信用銀行に入った人。

ご存じの通り、長銀は1998年に破綻するわけですが、先輩が入行した1991年はバブル絶頂期で、「7年後に破綻」なんて夢にも思っていなかったことでしょう。

というか、長銀は、当時の就職難易度でも、わりかし上位だったと思います。先輩も男前のさわやかな人で、長銀以外でもいろんな会社に入ろうと思えば入れたことでしょう。

で、この先輩は、長銀破綻と前後して、ある県庁で地方公務員になりました。手堅いですね。

 

同じく1991年卒で、住友銀行に入った女性。美人で人当たりもいい憧れの先輩でした。

住友銀行でどのくらい勤めたか知りませんが、やはり30歳前後で退職して、海外の大学院に行ったところまでは聞きました。その後、外資系コンサルに行ったと聞きましたが、今どうなったかは知りません。

1991年卒で、協和銀行に入った人は、入行日に協和埼玉銀行になり、さらにあさひ銀行りそな銀行と合併を繰り返しているうちに、辞めていました。その後、会計事務所に勤めたと聞いています。当時は無資格だったと思いますが、いまは会計士の資格とったのでしょうね、たぶん。

 

1992年卒、つまり同期では、私の身の回りでは第一勧銀に入った人が多かったです。当時の一勧といえば、都銀上位のイメージがありましたが、いまやみずほ銀行メガバンクのなかでも、ぱっとしない勢力になってしまいましたね。

第一勧銀には、私とわりと仲のいい同期がいて、連絡を取り続けています。全国の各支店を3年おきくらいに転勤する人生を送っています。いまは日本海側の県庁所在地にいると思います。たいへんだな…。

日本興業銀行に入った同期もいました。興銀といえば、当時は民間銀行トップのエリートです。彼が興銀に受かったときいて、私も「おおっ!すごい!」と思いました。採用少なかったしね。

しかし、その興銀も、いまやみずほ銀行です。

ただ、彼はだいぶ前に会社を辞めて、外資系の金融機関に移ったと聞いています。

 

住友銀行には、知り合いの同期男性が入りました。彼は本社勤務もしていたと聞いていますので、出世コースに乗ったのでしょう。いまはどうしているか知りませんが。

同じく1992年卒で、三和銀行に入った美人女性。総合職で入りましたが、5年も勤めずに退職して、主婦になりました。4人も子ども産んでいます。4人育て上げるなんて、すごい立派な社会貢献ですよね。

1992年卒では、私の幼なじみが北海道拓殖銀行に入りました。北海道に縁もゆかりもない、東京の私大卒の彼ですが、「北海道が好きなので」というナイスな理由で拓銀に入りました。

都内の支店に勤めているときに飲んだことがあり、「恐ろしいほど客が来ない」とぼやいていました。当時の拓銀は、都内にいくつか支店を展開していましたが、閑古鳥が鳴いていたようです。

拓銀は1997年に破綻。彼がいま、どうしているかは知りません。

 

ということで、銀行に入ったバブル組の知り合いで、今も勤め続けている人は、私の知っている限り1人だけ。

もちろん、他にもいると思いますが、辞めた人のほうが多い印象です。

ただ、大手銀行を退職した人は、金融に明るいので、公務員でも求められていますし、民間企業でも重宝される傾向があるようです。

女性で寿退社した人も、いい男と結婚しているようですし。

 

ということで、バブル期に銀行に入った人の末路は「辞めた人が多いけれど、悲惨な話は聞かない」ということでしょうか。

悲惨な人の話は、なかなか耳に入ってこない、という部分もあるでしょうが。