「劣化したオッサン」になってきた
40代も終わりになり、体力、記憶力、視力といった、人間の基礎的な機能が落ちてきたと実感しています。
それにともない、自分の仕事の能力も劣化してきたことを、自覚しはじめました。
これもセミリタイアの理由の一つです。
メモをしてもメモをなくす
若い頃、私は仕事の「ミス」をあまりしませんでした。
メモしていなくても、打ち合わせをした内容は覚えていましたし、やるべきことはスグにやっていました。
しかし、最近は、メモをしないと忘れるし、メモをしてもメモをなくしてしまう。
つまらないミスが増えました。
本当に、我ながら「劣化したなあ」とため息が出ます。
情熱も薄れてきた
昔と今とでは、必要とされる仕事のスキルが違います。
ITの進歩で、業務オペレーションはどんどん複雑になってきています。 そうした世の中の進歩に自分がついていけてないことも、認識するようになりました。
くわえて、仕事に対する積極性や情熱も薄れてきてしまっています。
これでは、質の高い仕事はできません。
年齢のぶんだけ経験はあるので、要領よく仕事をこなして一定のクオリティは確保していますが、「いい仕事」はもうできなくなっている気がします。
有名企業のベテラン正社員という立場で、いい給料をもらっているのに、この程度の仕事しかできないことに、気分的に耐えられなくなってきています。
ちょっとした自己嫌悪です。
劣化したオッサン
こんな記事がありました。
日本企業には「劣化したオッサン」が多いという。それは昇進の望めない人材でも、簡単には解雇されないからだ。
というリード文から始まるこの記事、劣化したオッサンの内容にはあまりに触れていません。
それよりも、企業で出世できる人の数は限られていて、自分の天井が見えてきた頃には転職もできないような「劣化した」年齢になっている、という日本式雇用システムの厳しさを指摘している記事でした。
日本の大企業の場合、「あなたはここまで」と言われる年齢が40代以降なので、その時点で取れるキャリアオプションはほとんど残っていません。 結局は「辞めるよりも、今の場所でソコソコにやっていくしかない」ということになり、その場所から、華々しく活躍してどんどん昇進していく人たちを眺め続けなければならない。つまり「自分を拒否する組織に残り、拒否されない人の活躍を見続ける」ことになるわけです。 その上で、組織内の序列階級は内部者にわかりやすく共有されますから、「あの人、あそこで止まっちゃったね」というのが明確にわかることになる。これは実に過酷な状況ではないでしょうか。
この気持ちはわかります。
私も「止まっちゃった人」なので、仮にこれから会社に残るとすれば、出世していく後輩の姿を眺めることになります。
ただ、私はもともと出世を追い求めて会社人生を歩んできたわけではないので、こうした状況を「過酷」とまでは思いませんが。
セミリタイアをすれば
劣化して仕事のクオリティが落ちてきた自分と、現場から離れた出世組の立場を比べると、やっぱりいい気はしません。
ただ、私には、セミリタイアをできる資産があるので、まだ恵まれているほうでしょう。
上記の記事で言えば、40代までに、会社を辞めても生きていける「キャリアオプション」を手にしています。
資産を構築することは、人生のオプションを広げるのです。
コツコツと資産を積み上げておくことは大切だと、改めて思います。