「給料を稼ぐ」と「給料を貰う」の違い
サラリーマンが「給料を稼ぐ」という表現を使うことに、違和感があります。
サラリーマンは「給料を貰う」ではないでしょうか。
私たちサラリーマンは、給料を稼いでいるのか、それとも貰っているのか。
給料を貰うから稼ぐという意識改革
尊敬する永江一石さんのブログに、こんな記事が載りました。
ざっくりまとめると、サラリーマンであっても「給料を貰う」という意識から「稼ぐ」という意識を持つ必要がある、ということです。
そうすれば、給料が上がり出世できるし、もしそうならなくても、いい条件で転職できたり起業できたりする、という考え方です。
金を貰うから稼ぐにマインド変換 ↓ 勤務している企業を稼がせる ↓ 給料上がって出世する ダメなら転職または起業 ↓ 転職・起業先で実績上げてさらに給料アップ 余力を投資に
給料を「稼ぐ」という意識になれば、上記のような好循環に入れる、ということですね。おっしゃっていることは、原理としては正しいと思います。
ただ、「勤務している企業を稼がせる」→「給料上がって出世する」という流れはどうかなあ?
高度成長期ならいざ知らず、停滞期の今、そうシンプルに応えてくれる企業がどれだけあるのか、という気もします。
サラリーマンでいる限り「稼げない」
私は、永江さんとはちょっと考え方が違い、サラリーマンでいる限り「稼ぐ」ことはできないと思っています。
というのは、サラリーマンというのは、企業が定めた枠組みの中で労働して、その対価としてお金を与えられるからです。それが「給与」ですね。
企業が儲ける仕組みを作り、労働者はその仕組みを動かす歯車として活動し対価を得るのです。
もちろん、優秀な社員なら、企業内での「儲ける仕組み作り」にも貢献するわけですが、それとて、企業の枠組みのなかで動いているわけです。
企業の枠組みの中で活動し、給与を貰っていることに変わりはありません。
本人は「俺は稼いでいる」と思っていたとしても、結局は会社の枠組みの中で会社が決めた給与を貰っているに過ぎません。
自営業者は「稼いでいる」
これに対し、自営業者は、稼ぐ仕組み作りから自分で行います。稼ぐ仕組みを自分で作り上げ、収入を得ます。
これは「稼いだ」と表現できると思います。
あるいは、こうも表現できます。
「稼ぐ」場合、得られる金額に上限がありません。青天井です。
「貰う」場合、得られる金額に上限があります。その上限は、自分がどんなに努力しても破れません。
上限の有無が「貰う」と「稼ぐ」の違いではないか、とも思うのであります。
ところで、古いドラマには、亭主が「誰の稼ぎで食っていると思っているんだ」と家庭内で怒鳴り散らすシーンがあったりします。
私からみると、あれも、おかしいです。
「あなた稼いでないじゃない、貰っているだけじゃない」と奥さんの突っ込みを待ちたいところです。
配当金生活は「儲けている」
では、運用というのはどうなのでしょう。
株の配当で生活したとして、「稼いでいる」といえるのか。
……ちょっと違う気がします。
「儲けている」が適切でしょうか。
儲けるが上策、稼ぐが次策
お金を貰って暮らすか、稼いで暮らすか、儲けて暮らすか。
貰うのは労働者
稼ぐのは自営業者
儲けるのは資本家
私なりに解釈すると、以上のようになります。
どれが優れているかと考えると、
「儲けるが上策、稼ぐが次策、貰うは下策」ではないかと思います。
できれば上策で生き、難しければ次策で生きたいですね。
「いやいや、汗水たらして働くことに意味があるんだよ」という手垢の付いたフレーズを吐く上司とは、一緒にお酒は飲めません。