「打ち上げ」という時間の無駄は、なぜなくならないのか。しかも2回とか
最近、私は大きなプロジェクトを終わらせました。まあまあうまくいったと思います。
やれやれと思っていたら「打ち上げをやりましょう」と関連部署の部長が提案してきました。
もっとも貴重なのは時間であるのに
直属の上司が「打ち上げやろう」というのなら、まだわかりますよ。それでも十分うざいけれど、なんで関連部署の部長が言うのかね?
なんでも、プロジェクトに関わったさまざまな部署の社員を集めて、慰労するのが目的だそうです。
でも、その部長の都合で、日付はこの日限定で、とか。
うざい、うざすぎる。
「私がおごります」
とか、カネなんてどうでもいいのです。
つか、接待費で落とすだろ、それ絶対。
いまの私にとって、最も貴重なのは時間である。
時間があれば、妻の家事も手伝えるし、子供の面倒も見られるし、副業のサイト作りもできるし、株の銘柄研究も、FXのチャート分析もできる。
しかし、今の私にとって、それらをする時間はきわめて限られている。
その限られている時間を
打ち上げ
などという、無意味きわまりないものに使わされるとは。
なぜ日本のサラリーマンは「打ち上げ」が好きなのか
しかも、今度の慰労会は、プロジェクトのリーダーである「私」が主役に凝せられています。
そのため、休むことができません。
途中で抜け出すことも無理です。
下手すりゃ2次会まで連れて行かれます。
費やされる時間はどのくらいだろうか。最低3時間、下手すりゃ6時間。
無駄だ。無駄すぎる。
いつも思うのだけれど、何かのプロジェクトなり、イベントなりが終わった後に、なぜ日本のサラリーマンは、「打ち上げ」をやりたがるのだろうか。
終わったら「お疲れ様。早く家帰って寝ようぜ」でいいのではないか。
「打ち上げ」やら「慰労会」やらは、年に一度まとめて、「忘年会」で十分ではないか……。
そうだ、忘れてた。打ち上げを11月にやったら、次は部の忘年会が12月にある。
もう、アホか馬鹿かと。
部下を見ているのか、上役を見ているのか
部長の立場としては、関連部署も含めた部下を慰労することで「部下への感謝を示す」とか「社内の融和をもたらしている」とか、思っているのかもしれません。
だとすれば、勘違いもはなはなだしい。
あるいは、重役に向かって「私はちゃんと部下の面倒を見てますよ」とPRしたいのかもしれない。
たかだか打ち上げで、そこまで考えていることもない気もしますが、重役まで会に呼んだら怪しいな。
本来、そこまでのプロジェクトじゃありません。
知らぬ間に幹事まで
しかも、この打ち上げは、社内向けです。
手伝ってくださった外注さんとの打ち上げは、また別。
そんなもの、お互い迷惑だからやりたくないのですが、直属の上司が「ちゃんと外注先のスタッフも集めて打ち上げやろうね。お店取っといて」とかいって。
知らない間に、幹事にさせられているじゃん!!!
外注先だって忙しいし、元請けと酒なんて飲んだって気を遣うだけじゃないのかな、と私は思います。
なんという、誰もトクしない無駄な消耗戦。
こういうのは、なぜなくならないのでしょうか。
それとも、我が社だけなのでしょうか。
でも、もうすぐこうしたくだらない飲み会ともお別れだ。
なぜなら、来年夏でセミリタイアするから!!